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ノルウェイの森/村上春樹
ワタナベと直子は、高校生のときにキズキという男をを失った。
キズキは、自宅のガレージで自殺したのだった。
ワタナベにとって、キズキは心を許せた唯一の親友で、
直子にとっては、唯一愛した一人の男性だった。

大学進学後、偶然再会したワタナベと直子は、その日を境にお互いの距離を縮め合うようになる。
キズキの死に対する喪失感を共有していた二人。
やがて直子の誕生日を向かえ、その夜二人はSEXをした。
しかしその後、直子は忽然とワタナベの前から姿を消す。
彼女は精神を患い、療養をする為、京都の療養所へ向かっていたのだ。
彼女が元気になる事を信じ、待ち続ける事を決心したワタナベ。

だが彼の元に、緑という別の女性が現れる。
直子とは対極的な魅力を持った緑に、安らぎを感じるワタナベ。
二人の女性の間で揺れ動く彼の心は、いったい何処へ向かうのか。

青年期の主人公の、限りない喪失と再生を綴った物語。
「死は生の対極としてではなく、その一部として存在している」



世界で多くの人が読み、多くの人が賛辞と批判の嵐を送った、国内総発行部数1000万部越えの恋愛小説。
単なる恋愛小説と聞くと、つい安易な内容を思い浮かべてしまうけれど、この小説、中身は繊細で難解なもの。
 
物語は、主人公ワタナベトオルの一人称で進んでいく。
作者自らが語る本書のテーマは、死とセックスについて。
冒頭でワタナベは、飛行機の中でビードルズの「ノルウェイの森」を聴いて、18年前に失ったある女性の事を思い出す。
その記憶を元に、彼が19歳の頃に体感した、孤独、哀しみ、喪失、再生の物語を、彼自身の言葉で綴った恋愛小説である。
以下、多くのネタバレを前提に書いているので、
 未読の方は読まないでください。
 

まず、物語の核となっているのが、先に述べたとおり、死とセックスについて。
恋愛小説の中で、ここまで真面目に男女のセックスについて向き合った作品を自分は知らない。
本書は、セックスと純愛という一見対極と思われそうなテーマが同軸に置かれていて、そういう意味ではより現実的な恋愛小説に思えた。
そして、この物語の世界では、死が常に隣り合わせに描かれている。
ワタナベと直子に襲い掛かる、深い喪失感。二人は愛していた人を亡くすという孤独から、逃れるようにして関係を持ってしまう。
彼らは死を生の対極としてではなく、その一部として感じてしまった。
セックスは生殖行為であるし、生への本能そのものである事から、死と生との対比が描かれている、というように解釈するのが文学的には正しいのかもしれない。

ストーリーは、主人公のワタナベが4人の女性と関わっていく事で、深い喪失感から再生へ向かう姿を描いている。
一人目に出会う女性は、ヒロインでもある直子。
高校卒業後、偶然出会った二人は、お互いの虚無感を温めあううちに性的関係を持ってしまう。
直子は愛していた恋人の前では、決して濡れることが出来ず、セックスする事が出来なかったのに、恋人でもないワタナベとは出来てしまったのだ。
この事実が、最後まで二人を悩ませる問題となる。
ここでまず、愛情と性欲は別々のものなのだろうか?という疑問が湧く。
例えば文中に、ナオコの回復を待っている期間、ワタナベが無駄に他の女と寝ていたような描写があった。
実際、男なんて顔も名前もわからない女とセックスする事に、それほど抵抗を持たないかもしれない。
逆に言えば、名前も顔もわからない女だから、ワタナベは寝たのだろう。
大切な人が心にいても、体はどこか別の物を求めるっていう心理は、少なからず男の自分は全く理解できない話ではなかった。
これは大半の女性には批判を浴びそうだけれど、要するに男は、出来るか出来ないかが重要なのだと思う。
(全ての男がそうだとは言っていないので、誤解のないように)
だがこれはワタナベに限ったことではなく、直子や物語に登場する女性たちも、同じ欲望を持っていたと言えるのではないだろうか。
そうじゃなければ直子は、死ぬ間際の会話で、レイコにワタナベとのセックスの話なんてしないだろうし、その事で彼女は実際悩み続けてもいたのだし。
そして結局、ワタナベを愛していたのか?という問いと、もう誰にも私の中に入って欲しくない、という感情に押し潰されてしまったんじゃないだろうか。
 
そして、ワタナベが同じ大学で知り合う女性が、緑だ。
彼女は直子と違って活発で、直子とは対極の位置にいた女性として描かれている。
直子を死の側とするならば、緑は生の象徴として存在している。
彼女もまた、身近な人を続けて失くしていたけれど、そこで死に捉われるのではなく、乗り越えてしまおうというタフさ、芯の強さは、ワタナベにとって魅力的だった。
セックスに対しても積極的な女性に描かれていて、彼氏がいるのにも関わらず、ワタナベに性的アプローチをしてくるところなど、奔放な性格の女性だ。
ワタナベは自分の諦観を覆すような、緑の存在に惹かれはじめる。
結局、彼に救いの手を差し伸べたのは彼女で、ワタナベも最後には直子ではなく緑を選択する事になる。
彼は、死より生を選んだのだと言えるだろう。
 
ワタナベの寮の先輩である永沢。その彼女として現れるのがハツミだ。
永沢はワタナベを連れ出しナンパに繰り出し、次々と女と寝てしまう、いわゆるプレイボーイ。
そんな彼氏の行動を知りつつも、関係を続けてしまう女性。
男にとっては都合の良い女だろうけど、彼女自身は愛に生きている、とでも言うのだろうか。
けれど、そんな彼女にも良い結末は待っていてくれない。
純粋なだけでも成就しない愛。ここにも、この物語のテーマが垣間見える。

直子が療養している施設の同居人が、レイコという女性だ。
三十代後半である彼女も、この物語において特別なファクターとなっている。
彼女は、ワタナベと直子の良き理解者であり、友人のような存在だ。
直子が療養している間、ワタナベは直子の元へ二度訪れるが、そこで二人は様々な会話を交わしている。
ワタナベは、高校時代の親友の死によって、感情を閉ざしてしまっていた。
物事には深く関わらず、ある一定の距離をおいて接する事が、自分自身が傷付かない最善の方法だと解ってしまったからだろう。
そんな彼に対しレイコは、慈愛の心で優しく包み込む。
ワタナベが緑を選択した後の、「あなたはもっと幸せになる努力をしなさい」という科白が、彼女の心を表しているだろう。
直子が死んだ後、ワタナベとレイコのセックスの場面があるけれど、そこにはあった物は愛だろうか?性欲だったのだろうか?
心を埋める為だけのようなもの‥?若しくは生への渇望か‥。
そして彼女も結局、彼の元を去っていく事になる。
 
結局直子はキズキを選び、向こうの世界へ旅立ってしまった。
キズキ、直子と連鎖していく死に捉われそうになっていたワタナベだったけれど、緑を選択した事によって救われた、というように捉える事も出来る。
けれど彼は本当に救われたと言えるのだろうか?
物語の最後に、現実の世界で生きることを決めたワタナベは、緑に電話を掛け、こう告げられる。
「あなた。今どこにいるの?」
そして物語は、冒頭の場面へと続いていくのだ。
 
18年後、彼は飛行機の中でビートルズの「ノルウェイの森」を聴き、混乱する。
あの後、彼は何もかも失って、失ったままだったのだろうか?
直子が、自分の事を愛してさえいなかった事に気付いたとき、
37才の彼は、自分の今居る場所をわかっていたのだろうか?


The Beatles/Norwegian Wood




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